Mooning over

季節の花と街の風景

空風景

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ある日の空。
先週は梅雨らしい天気でした。ちょっと涼しすぎるかなといった感じでしたが、
汗かきの管理人にはありがたい気温です。

グリーンピア春日井の花たち3

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この温室は毎月、その月の花をメインとした植え替えを行っていますが、6月はアジサイメインで
ちょっとバリエーションが少ない展示でした。

グリーンピア春日井の花たち2

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ステージではこの日だけで、10組以上のフラダンスチームがダンスを披露。
写真を撮って載せたかったのですが、一般の人ということで思案の結果、やむなく断念。

グリーンピア春日井の花たち1

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千種公園の後はグリーンピア春日井へ。
「トロピカルガーデンフェア」というイベントをやっていたので、いつにもましての人混みでした。

千種公園のユリ 後編

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公園の一角のユリ園なので、それほど大きくはないものの、お散歩がてらに立ち寄るには
いいロケーションなので、近所の方と思われる人たちがスマホ片手に観賞していました。

千種公園のユリ 前編

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市内の千種公園のユリ園が見ごろ、という記事を見つけて出かけましたが、すでに後半戦で
先週末のほうが良かったようでした。

空風景

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時にはドラマチックな空が見られることも

樽見鉄道駅巡り 糸貫駅

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この辺りまで来ると家も立て込んできて、乗降客もそこそこいそうです。
ひとつ大垣寄りの駅は「モレラ岐阜」という名で、大型ショッピングセンターの最寄り駅です。
とは言っても、まだまだあたりはのどかな風景が広がります。

森林公園の花たち 後編

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芝生広場もすっかり初夏の風景です。
緑も濃くなってきましたが、空はまだ5月のすっきりとした色合いです。

竹島の風景 後編

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この辺りは遠浅になっていて、潮干狩りが楽しめます。
うちの娘も小さい時に貝を撮りに行きました。

竹島の海辺 前編

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今回は久々に海の風景です。
曇りがちな天気だったのが少し残念ですが。

奥殿陣屋のポピー畑

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徳川秀忠に仕え、大坂の陣の戦功により3千石を与えられた松平真次から始まる奥殿松平家。
その陣屋跡に1984年、近辺にある曹洞宗の寺院・龍渓院の庫裏になっていた書院が移築復元
され、観光農園などを併設した観光施設です。その一部に花畑があり、この時期はポピーが
見頃となっていました。

700年前から、ちっとも変ってやしない 後編

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ツイッター界隈でエア台になっていたのですが、徒然草の時代から、人に無理やり酒を
飲ますことはあったんですね~
今はさすがに「俺の酒が飲めんのか!」って人は減ったと思いますが、いわゆる「イッキ
飲み」は体育会系では、やってそうな…

175段「世には心得ぬ事の多きなり」の前半です。

<原文>
世には、心得ぬ事の多きなり。ともある毎には、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたるを興と
する事、如何なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと堪へ難げに眉を顰め、人目を測りて
捨てんとし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も、
忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も
知らず倒れ伏す。祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。
明くる日まで頭痛く、物食はず、によひ臥し、生を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、
公・私の大事を欠きて、煩ひとなる。人をしてかゝる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも
背けり。かく辛き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかゝる
習ひあンなりと、これらになき人事にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。

<現代語訳>
世の中、不可思議なことが多い。ことあるたびに何よりまず酒を勧め、強いて飲ませることを
面白がるけれども、全く意味不明である。 飲まされる方の人が辛そうな顔つきで眉を顰め、
人目を盗んで杯の酒を捨てようとしたり、飲まされまいと逃げようとするところを捕まえて
引き留め、むやみやたらに飲ませたりすれば、立派な人であろうとあっという間に狂人の
バカになる。元気な人もだんだん重病人みたいになって、前後不覚で倒れて寝てしまうのだ。
それが当人の祝い事の日であれば、なおさらバカバカしいことだ。
次の日まで頭は痛み、物も食べられず、うめきながら寝込み、前世のことをまるで覚えて
いないかのように昨日の記憶も失くす。仕事や私事の大事な用事もできやしないので、
差し障りも多いのだ。人にこんな思いをさせることは、慈悲の心がなく礼儀にも背いている。
こんな辛い目に遇わされた人は、飲ませた人を忌々しく恨めしく思うに決まっているでは
ないか。よその国にこんなバカげた風習があると聞いたなら、酒を無理強いする風習が
ない国の人々は呆れて不思議に思うに違いない。

700年前から、ちっとも変ってやしない 前編

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徒然草の73段「世に語り伝ふる事」の前半が、今話題の日大アメフト部問題にぴったり
だったので…

<原文>
世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。あるにも過ぎて
人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、
筆にも書きとどめぬれば、やがて又定まりぬ。道々の物の上手のいみじき事など、かたくな
なる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、道知れる人は更に信もおこさず、
音に聞くと見る時とは、何事もかはるものなり。

かつあらはるるをも顧みず、口にまかせて言ひ散らすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又、
我も誠しからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の
そらごとにはあらず。げにげにしく、ところどころうちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、
つまづまあはせて語るそらごとは、おそろしき事なり。

<現代語訳>
世間で語られることは、事実そのままだとつまらないせいなのか、だいたいは嘘八百である。
実際の状況以上に話をこしらえて言いふらすものだから、月日が流れて遠方にもなれば言い
たいままに話を作ってしまい、筆で書き留めたりもして、それが実話となってしまう。専門分野
の込み入った話などは、その道に疎い人はまるで神様の言葉のように崇めるけれど、事情通に
とっては信奉する価値もないものだ。何でも聞くと見るとでは大違いなのである。

その一方で、喋っているそばから嘘が露見していくのも気にせず、出任せばかり言っている
というのは、すぐに底が見えてしまう。また、自分でも嘘っぽいと感じながらも、人が言ったまま
を鼻をぴくぴくさせながら言うことはその人の嘘ではない。最初に嘘を言った人の嘘である。
逆にいかにもそれらしく折々におぼつかない素振りを入れて、よく知らない風で、しかし辻褄を
合わせて語る嘘は恐ろしいものだ。